2018年末から年明けにかけて、日本の商業捕鯨が再開となることがニュースとなりましたね。
日本にいると世界の温度感が分からなかったのですが、周りはカナディアンの友人ばかりで、日本の捕鯨に対するイメージは控えめに言っても「最悪」。
わたしは日本に居るときも鯨は食べたことがないし、そこまでして守るものなの?とも思ってしまったので、今回はどうして世界がこんなにも捕鯨に嫌悪感をあらわにするのかを調べてみました。
- IWCの実態
- 反捕鯨派の意見
- 日本のスタンス
- 今後の道すじ
◆サクッと読むための目次
国際捕鯨委員会(International Whaling Commission: IWC)
出展:ウィキペディア| ©️ Lokal_Profil
まずは捕鯨の話をするには切っても切れない存在なのが、この国際捕鯨委員会(International Whaling Commission: IWC)。
IWCは1948年に発足(締結は1946年)した国際機関で、現在の加盟国は89ヶ国(2012年8月現在)です。日本の脱退が決まったため、今後は88ヶ国となります。
IWCの目的
IWCの目的は大きく2つ。
- 鯨類の適当な保存
- 捕鯨産業の秩序ある発展
要は、「鯨類資源の保存と有効利用」と「捕鯨産業の秩序ある育成」ということですね。
はい、その通りです。
しかし、お気づきの通り、現在の実質的な方針は「反捕鯨」です。
IWCの方針が反捕鯨に一転した経緯
一度、IWCが発足した経緯まで遡りましょう。
19世紀から20世紀半ば | 鯨油を目的とした捕鯨が盛んになったため、絶滅寸前に瀕した種もいたと言われる |
1931年 | ジュネーブ捕鯨条約 |
1937年 | 国際捕鯨取締協定 |
1946年 | 国際捕鯨取締条約 |
1948年 | 国際捕鯨委員会(IWC)設置 |
1951年 | 独立直後、日本がIWCに加入 |
1960年代 | イギリス・オランダ・オーストラリアなどが捕鯨業から撤退 |
1960年代末 | 鯨類全面禁漁の意見が出始める |
1972年 | アメリカが国連人間環境会議で商業捕鯨の10年間一時停止を提案し採択される IWCでもモラトリアム提案を提出するも科学的正当性にかけるとの理由で否決される |
1982年 | 反捕鯨国が多数加入したこともあり、「商業捕鯨モラトリアム」がIWCで採択される このモラトリアムには「1990年までにゼロ以外の捕獲枠を設定する」との合意が付いていた→日本は異議申し立てを行う |
1985年 | アメリカからの圧力から、日本は異議申し立てを撤回 |
1988年 | 日本は商業捕鯨から撤退し、調査捕鯨を開始する |
2010年5月 | オーストラリアが、南極海で調査捕鯨を行う日本を「実態は商業捕鯨」として国際司法裁判所(ICJ)に日本を提訴 |
2014年3月31日 | ICJがオーストラリア側の主張を認め、日本は判決を受け入れ、南極海での調査捕鯨を終了 |
上記から分かるように、1982年に採択されたモラトリアムには、「1990年までにゼロ以外の捕獲枠を設定する」との合意が付いていたにも関わらず、2019年の現在も尚、商業捕鯨は禁止されています。
ちなみに日本で鯨食が広まったのは戦後のことでした。
日本がIWCを撤退した最大の理由
日本がIWCを撤退した表向きの理由
「IWCが国際機関として機能していないから」というのが表向きの理由。
その真意については次項でまとめます。
当初の目的を見失い、捕鯨支持国 41ヶ国 と 反捕鯨国 48ヶ国 と大差があるわけでもないにも関わらず、発言力の強い、アメリカやEU諸国、オーストラリアの意見がまかり通ってしまっています。
今回の日本のIWC脱退に伴い、オーストラリアのプライス環境相はこう述べています。
“Australia remains resolutely opposed to all forms of commercial and so-called ‘scientific’ whaling.”
訳:「商業目的でも、いわゆる「調査」目的だとしても、あらゆる形態の捕鯨に反対し続ける」
英語がある程度分かる方であればこちらの動画も見ていただきたいです。
キャスターの男性が話している通り、日本は直近の会議において「IWCの根本的な建て直し」を提案し、本来のIWCに戻そうとしてきました。
しかし、アメリカやオーストラリア、ニュージーランドの反捕鯨の強固な姿勢に変わりはなく、脱退を決意したのです。

本当の理由は「南氷洋捕鯨」から撤退したかったから
2019年1月22日放送の虎ノ門ニュースで豊洲市場水産仲卸業者 鈴与 三代目社長の生田よしかつ氏がコメントされるまでわたし自身、↑の理由と認識していました。
(公式動画は公開後1週間で見れなくなってしまうので・・)
上述の通り、日本で鯨食が広まったのは戦後のことでした。敗戦後の日本の食糧難を救ったのが高タンパクの鯨肉だったのです。
マルハ、日本水産、日魯漁業といった企業は、この捕鯨で儲かっていました。
しかしその後、牛肉や豚肉などが出回るようになると、鯨の需要がなくなっていきます。それに伴って各3社は「南氷洋捕鯨までやる必要はないね」という見解で、南氷洋捕鯨から撤退をしたかったのです。
しかし実際には乗りかかった船、この3社は共同で「共同船舶株式会社」を設立します。
それでもやはり採算が取れず、この3社は共同船舶から身を引くことになります。残った組織はそのまま「国策企業」と化し、官僚の天下り先となってしまいました。
すると今度は、その「天下り先」という利権を確保するために、南氷洋捕鯨を守りに入ったのです。赤字にも関わらず!もちろん資金源は国民からの税金です。
それから50年が経った今、捕鯨船の日新丸と勇新丸の捕鯨船2隻は老朽化。
しかし新造船を作るとなった場合、1隻で500億円以上がかかります。2隻ともなれば総額1,000億円以上。
さすがに天下り先とはいえ、1,000億円の予算は付けようがありません。
そこでいよいよ南氷洋捕鯨から撤退することを考えるのですが、これまで「南氷洋捕鯨は正しいんだ!」と言い続けていた立場を取っていたので、引くに引けないのも事実。
そこで国民や世界の目を引くために取ったのが「IWCの脱退」。皆そちらに注目しますからね。
生田さんによれば、日本は数年後にはIWCに戻ってくると仰っていました。
今後の動向が気になりますね。
日本が捕鯨を守りたい理由
在シドニー日本国総領事館のホームページに記載があったので、一部引用させていただきます。
(1)食文化
日本では、仏教の伝来とともに676年「牛、鳥、犬、猿、猪の肉を食うなかれ」という禁止令が出され、「古事記」でもこれらの肉を食すべからずとの殺生戒があります。このため、鯨を含む水産資源による食文化が発展しました。鯨は、昔は「勇魚(いさな)」と呼ばれ、室町時代の有名な調理本である「四条流包丁書」では最高の献立とされました。
(2)文芸
日本最古の歌集「万葉集」にも「鯨魚(いさな)とり」が12首も歌われ、江戸時代の「東海道中膝栗毛」にも鯨食を楽しむ様子が描かれています。また江戸時代の「鯨肉調味方」をはじめとする多くの鯨料理の記録が残されており、鯨を食べる習慣が庶民生活に浸透していたことを示す文学作品、料理書、錦絵、絵巻、俳句等を挙げれば枚挙にいとまがありません。
(3)祭りと芸能
北海道白糠町、平取町に残る「アイヌの鯨踊り」、三重県四日市市の「鯨船神事」、長崎くんちの「鯨の汐吹き」等日本各地に鯨にまつわる祭りや芸能が残されています。日本人にとって鯨は、豊かさや幸いをもたらす象徴(=恵比寿)とみられ、そうした祭礼には招福と除災の意味が込められています。また、日本の伝統芸能である「文楽」の主役である人形は、鯨のヒゲの柔らかい弾性によって、まるで本当に生きているかのような滑らかな動きが可能となります。しかしながら国立文楽劇場では、文楽の人形の補修に必要なヒゲのストックは底をついています。
(4)信仰
「鯨一頭で七浦が潤う」と言われたように、捕鯨は地域に大きな恩恵をもたらしましたが、同時に殺生を伴うため、全国各地で鯨の供養塔や墓、過去帳などがつくられ法要を営むなど鯨の魂を供養する信仰や儀礼が行われてきました。その背後には日本人の「生あるものはすべて魂を持ち肉体が滅びた後も魂は残る」という独特の宗教的生命観があり、家畜に感謝し供養する伝統が培われる素地のない欧米の価値観とは対局をなしています。このように日本では、人間は、人間同様に価値ある生物の生命を奪い食糧としなければ生きていけない業を背負っているという認識があり、この認識が鯨の供養が長年に渡って行われてきた背景となっています。
反捕鯨派の意見
反捕鯨派の意見はこんな感じ。
- 動物愛護の観点
- 生態系の観点
- クジラの水銀含有量
①:動物愛護の観点
海外でよく話題になるのがこの観点です。
日本人がこれを聞くと「え?じゃあなんで牛と豚と鶏はいいの?」となりますよね。
これは、動物を食べるなということではありません。
もちろん反対派の中には「動物殺傷自体が間違っている。牛肉も含め殺傷は一切認められない。」という人もいますが、それとはまったく異なります。
※この意見は論点がズレるので本記事では触れません。ご了承ください。
わたしの住むカナダには、食用動物に対しこのような法律があります。
『Examination, Inspection, Humane Treatment and Slaughter, Packaging and Labelling』
このHumane Treatmentというのは「愛護」と訳されますが、もっと直訳すると「Humane=人道的な」「Treatment=扱い・待遇」という意味です。
つまり、動物であったとしても「人道的な扱いをしましょう」ということです。
具体的な内容としては、「避けられる痛みやストレスは与えない」とか「殺傷時の顔面や性器への電気製品の使用禁止」などが書かれています。
日本はこれに対し、鯨油目的で鯨油以外は捨てていた欧米とは違い、肉だけではなく骨までもを使い、さらには供養のための墓が設けられるなどしてきたとしています。
日本の、家畜に対し感謝し供養する習慣は確かに素晴らしいのですが、極端なことをいうとそれは「死後」の話なのです。

生態系の観点
人間の好き勝手な捕鯨によって、海の生態系が崩れてしまう_という点です。
さらには「クジラは絶滅危惧種」という理由も存在しますが、これは「クジラの種類による」ので、もちろん日本もそれらの種を捕鯨しようとはしていません。
プランクトンだけでなく小魚を食べる種の鯨が増えてしまったことにより、魚介類の漁獲高も減ってきていることを、人為的な間引きで食い止めたいというのもあるようですね。
また、クジラの妊娠期間は10ヶ月から長いものだと18ヶ月にも及びます。
人間と同様に、通常は1度に1頭しか産めません。
さらにクジラも哺乳類ですから、産まれてからは授乳期間が存在します。これにも6ヶ月〜12ヶ月。
牛や豚のように一気に何頭も産むことで数の調整もできませんし、家畜のように人間がお膳立てすることもできないのです。
そう考えると、生態系に影響が出ない_という捕鯨数の裏付けが足りないようにも思うわけです。
クジラの水銀含有量
北大西洋で獲れるマッコウクジラの筋肉には、平均で0.7ppm(0.7mg/kg)のメチル水銀が含まれているそうです。さらに、バンドウイルカは、マッコウクジラの約10倍のメチル水銀を含んでいるそうです。
マグロ類が0.437μg/gなので、クジラは倍とまでは行かないものの高めの水銀量ということが分かりますね。
許容摂取量は、国際専門家会議 (JECFA) において、胎児を保護するため、暫定的耐容量 (PTWI) 1.6 μg/kgと定められており、諸外国においても、妊婦等への摂食制限の啓蒙や規制強化が行われている
出典:ウィキペディア
よって、イルカに関して言えば、たった10g強で許容量オーバーとなってしまうのです。
各国はそれぞれに注意喚起を行っていますが、日本は魚をよく食べるという食文化なので、政府が発表している量も欧米に比べると緩い印象です。
日本 | 妊婦、妊娠の可能性のある方 | バンドウイルカ:2ヶ月に1回まで。コビレゴンドウ:2週間に1回まで。キンメダイ、メカジキ、クロマグロ、メバチ(メバチマグロ)、エッチュウバイガイ、ツチクジラ、マッコウクジラ:週に1回まで。キダイ、マカジキ、ユメカサゴ、ミナミマグロ、ヨシキリザメ、イシイルカ、クロムツ:週に2回まで |
米国 | 妊娠する可能性のある女性、妊婦、授乳中の母親、幼児 | サメ、メカジキ、サワラ、アマダイの摂取を避ける。エビ、ツナ缶、サケ、タラ、ナマズは週に340g以下。週2回魚介類を摂取する場合、ビンナガマグロを170g以下 |
カナダ | すべての人 | メカジキ、サメ、マグロの摂取は週に1食以下 |
幼児、妊娠可能年齢の女性 | メカジキ、サメ、マグロの摂取は月に1食以下 |
わたしの住むカナダなんて「すべての人」向けにも注意喚起が出ています。

よくある疑問
なぜアメリカやカナダのイヌイット族の「文化」は保護されるのに、日本の「文化」は批判されるの?

これはもっともだと思います。
数の問題もあると思うのですが、やはり残念ながら、大国・小国の違いに至るのではないでしょうか。
少数民族の古くからの伝統は良しとするのに、日本がやると大ブーイング。
まあそれだけ世界が日本に対して高い評価をしているとも言えるでしょうね。
さらに、日本は良くも悪くも技術力が高いので、何においても「効率性」に長けてしまうんですよね。
南極海での捕鯨に使われていた船では、その場で解体から瞬間冷凍までがチャッチャッとできてしまうんです。その無機質さに愛護団体が黙っているとは思えないですよね。
アイヌは北海道の先住民族_なんて意識、ありませんか?国会で通ってしまったとは言え、自国の歴史をきちんと理解していない政治家も国民も多いので、今回はその内容をまとめてみました。自治区ができたりした日には大変です。今からきちんと理解しておいてほしいトピックです。
まとめ
ここまで捕鯨についての世界と日本の考え方をまとめてきましたが、いかがでしたでしょうか?
わたしが個人的に思うに、ニュースも含め、情報が「感情論」に偏っているように感じました。
「鯨が可哀想」、それに対しては「きちんと供養している」とか。
「文化・伝統なんだから放っておいてよ」とか。
「てか、油田開発時の超音波とか核廃棄物の海洋汚染での殺傷数の方が商業捕鯨よりも遥かに多いじゃん!」とかね。
政治家の思惑だなどと揶揄されてしまうのは「論理的な対話ができていないから」に他なりません。
「伝統を大切にする」ことはとても大切です。
ただもしそれが、現代のルールに照らし合わせたときに人道的に間違っているとするならば「間違っていることを認めて改める」勇気も大切です。
個人的には、科学的な数値(=論理的な証明)が裏付けるのであれば商業捕鯨には賛成です。
でもそれができないのであれば、「思い」や「情」だけでの前進はないとも思います。
逆に言えば、科学的な数値は反対側だって出せるはずです。感情論で「捕鯨禁止!」と叫び世論を誘導するのはどうなのかとも思ったりします。そして是非、超音波や核廃棄物による殺傷を食い止める方法までも考えて欲しいと思います。
とは言え、すぐに全面禁止にすれば捕鯨業に支えられている人たちが路頭に迷うのは明白です。
辺野古移設に伴う辺野古周辺の漁業への影響に対しては国から36億円の補償金が交付されるそうですから、これまで調査に割いてきた予算を補償金へ回すなど検討の余地はあるのではないでしょうか?
なんなら共同船舶に回っていた税金でカバーして欲しいですけどね。
最後に、、、
時折人間のエゴを目の当たりにして哀しくなることがあります。
鯨の数が増えたからと獲っていいと決める人間。
鹿の数が増えたからと間引きしていいと決める人間。
2050年には現在76億人の人口が、98億人にもなると予測されています。
30年で22億人もの人口が増えるのにそれを制御する機能はないのです。いや、あったら困るけど。
ここで大切なのことはなんなんでしょうか。
一度世界中の1人1人が立ち止まって、しっかりと考えて欲しいと切に願います。
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それでは今回はこの辺で!
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